辰年の1冊『風よ。龍に届いているか』(小説ウィザードリィII/ベニー松山)

最近、自分の中でリバイバルしている趣味のほとんどが、中学時代にはまっていたものですね。

今回紹介する小説と、その原作であるファミコン版ウィザードリィもそうです。

私は、趣味をやめるときに、関連物を売るか捨てるかあげるかする癖があって、これも当時と同じものは、今は持っていません。

しかし、25年ぶりに Steam で復活した Wizardry: Proving Grounds of the Mad Overload をきっかけに、関連物をいろいろ探していました。

初期Wizは、ひさびさにプレイしてみたいと思っていたら、本当に出て、驚いたものです。小説もまた読みたくなりました。

Kindle版として復活したベニ松のWiz小説

書籍は、当時はもちろんJICC出版局(宝島社)のノベルズで買ったのですが、長らく絶版となっていました。

この前作『隣り合わせの灰と青春』のコミカライズ(魔境斬刻録~)が突然2022年に発表され、2023年Steam版狂王の試練場にも影響され、また読んでみたいと思っていたのです。

そうしたら、Kindle版が出ているのを発見しました。Kindle版オリジナルの挿絵もついて。前作と、短編『不死王』と、本作『風よ。龍に届いているか』をセットで購入。

本作は、6時間程度、没頭して1日で読破してしまいました。内容も忘れていることが多く、面白かったです。Kindleだと、読み終わり時間を推定してくれますが、それよりはちょっと多くかかりました。

約30年ぶりに読み返すと、説明過多なところが気になりはしましたが、読むのを止められませんでした。

龍は、大地をつかさどる神として描かれる

映画「天気の子」では、龍=水害を引き起こす邪神、として描かれていました。

干支の十二支に、なぜ空想上の動物である龍がいるのか。その理由は、新聞によれば、「昔は、龍は、当然実在するものと思われていたから」と説明されていて、なるほどなあと思いました。

風水害が龍のように描かれる昔ばなしは、日本にもたくさんあります。

映画「ずずめの戸締まり」のように、龍のように長いものが災害を起こす作品もありました。

一方、この小説では、いわゆるガイア神のような、地球生命そのもののような存在、善と悪との均衡をつかさどる神として描かれています。

その力が弱まることで、異常な災害が引き起こされていく。一般的なイメージとは真逆ですね。

世界の滅びを目前にすると、小さなことにこだわらなくなる

善の戒律の冒険者と、悪の戒律の冒険者たちが共闘する。最後には配偶者を獲得する。

そんな大枠は、前作『隣り合わせの灰と青春』と変わりませんが、世界の危機にあって、善悪の共闘、種族を超えた愛情、過去に捕らわれていたことからの脱却など、ありえないことが次々に起こります。

もうすぐ世界が終わるのだから、そんなことどうだっていいじゃないか。そんな主人公たちの心持ちが、中二の魂に再び火を灯してくれる作品です。

「すずめの戸締まり」の主人公も、いつ死ぬか分からないから、という理由で捨て鉢な行動を取りがちでした。

確かに中学生のころは、何かにつけ、「そんなことどうだっていい」と思っていたことを、思い出しました。ノストラダムスの大予言の影響もあったのでしょうか。

中学時代から二十代前半の、そういう心持ちを取り戻させてくれた作品です。

中学時代にはまった小説、いまならKindleで再発されているかもしれません。BOOK OFFで探してみてもいいでしょう。あなたの中二の魂も、取り戻してみませんか。