感想『街とその不確かな壁』が読み手を問わない理由

村上作品が読まれる理由が明確になった今作

読了。とてもよかったです。

村上春樹作品を必要とする人々は、日々新たに生まれてくるのだと思います。

その人々とは、「愛する人を失った人々」。初恋(交際に至らない)、最初の恋人、配偶者、肉親、親友の喪失。

こういう人たちは世界中にいるので、世界で読まれるのでしょう。もちろん、その読みやすさ、さらに作者自身による全世界営業活動を前提としてですが。

過去作のリメイクであることをさしおいても、読み始めは「またか」と思うかもしれません。それは作者も自覚しています。

我々はその限られた数のモチーフを、手を変え品を変え、様々な形に書き換えていくだけなのだ――と言ってしまっていいかもしれない。

あとがきより

「村上作品が好きだ」と言うと、「自分はかつて、愛だか恋だか好意だかを失ったことがある」と公言するに等しい。プライバシーだだもれ、恐ろしいですね。

しかし、世の中の98%くらいの人は、みんな一度は失っているので、匿名性は保たれています。

失っていることで、みんなつながっています。

冒頭の引用文で、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が想起されますね。そういえば、あの計算士の主人公も、妻を失った人でした。

主体は、過去の中編『街と、その不確かな壁』なのですが、時代的には『世界の終りと…』の続編といってもいいような雰囲気です。あの世界の、インターネットがある時代が今作です。

「おお、今作は前作の時代から数十年経っているから、『世界の終りと…』にはあった、<あれ>がないのか」と納得しながら読めたりもします。ま、その辺の解釈は自由ですが。

3つ目の段階に入った、あたらしい作品

この「街」が出てくるたびに、村上ワールドは段階が区切れるような気もします。

『世界の終りと、ハードボイルド・ワンダーランド』時代が1周目。

『海辺のカフカ』時代。2周目ですね。このあたりから、「過去作の総集編みたい」と言われがちになり、同じモチーフが繰り返されはじめます。

そして『街とその不確かな壁』時代。前時代の繰り返しループを脱して、3周目に入った感があります。今後もまだまだ新しい春樹作品が読めそうな予感がします。

今作は、過去の2つの段階を含みつつ、それを踏み台にして、今まで描いてこなかった場面や内面を書かれています。

反対に、今まで書いてきたけど、今作では書かれなくなったこともあります。

過去作にあったような執拗な描写もなく、非常にあっさりした文体です。が、ものすごく映像が浮かぶ文章です。なので、いつも以上に読みやすい。

さまざまな形で、さまざまな愛する人を失った人々が現れるので、登場人物の中にだれか、あなたに近い人がいるはずです。

その意味で、老若男女、誰が読んでも高い確率で共感できる、非常に間口の広い作品になっていると思います。

最近の作品を停滞気味・食傷気味に感じていたマニアの方にも、今回は、そんなようでいて違うよ!と言いたいです。