小さいが確たる幸せを感じる

生きていくうえで、幸せについて考えておいてもいいのではないかと思います。

さだまさし「しあわせについて」を歌うまでもなく。

アランいうところの「幸福は(他人に対する)義務」――ディストピアSF的な意味ではなく――を引くまでもなく。

あんずの花は満開になり…桜の開花と入れ違いに散っていきました

幸せになろうとすると、幸せになれない

私がいままで生きてきて、いろいろあって、いくつか幸せに関する教訓を得ました。

「幸せになろうとすると、幸せになれない」

これは、自分自身の幸せを求め、外に出て行こうとせず、行動を断念すると、いい結果を生まないということです。

外部に働きかけて、もしネガティブな反応が来たら不幸です。

なので、幸せを追求すると、何もしないのが正解ということになります。

もちろん、そんなの間違っています。

ダメなこともあるでしょうが、もしよかったらどうするのか。

昔の自分にいってやりたいですね。

不快のがまんくらべをしない

明るい方の性格ではなかったので、学生時代はけっこう難しいこともありました。

そのとき、自分の脳裏にあったのは、「私はあなたの発する不快に耐えているのだから、あなたも私の発する不快に耐えろ」という、不快の等価交換という考えでした。

当然、これも後から考えれば間違いなのですが、なぜか、当時はそう思っていたのですね。

このへん、初期の内田樹本に助けられた気がします。もう、卒業して内田樹の本は持っていないのですが。

誰かを一時的に不幸にしないと、自分は幸せになれない

反対に、相手の幸せを尊重しすぎるのも、不幸を招くことになる、と私は考えています。

たとえば恋愛とか結婚とか。

好きな人にアプローチして、両想いになるとき、めでたく結婚するとき、ほんとうに、誰も不幸にしていないのでしょうか。

その人を思っていた人、またはその人や自分の両親を、一時的に悲しませることだってあるでしょう。

もし、一瞬たりとも、誰も悲しませてはいけないのであれば、あなたはずっと幸せになれないことになります。

一時的に不幸にするのは、別にいいのです。あとで、埋め合わせはできます。

これも、昔、ふと読んだ新聞のコラムに救われた思い出があります。

「親は、悲しませていい」という言葉です。私も親の立場になり、子に悲しまされてもしかたないな、と覚悟しています。

似たようなところでは、独立開業を考えている方。「いま勤めている会社を不幸にする」と考えすぎないようにしましょう。

私は、村上春樹いうところの小確幸(しょうかっこう、小さいが確たる幸せ)を抱えて、幸せになる方向で生きています。

幸せを感じるポイントを継続し、逃したときの後悔をもとに行動を変えていきましょう。

編集後記

1日1新セミナーを受講してから、いろいろやっています。弥生会計25のインストール(詳細はYouTubeで)。

4月以降の料金体系を考えつつ、税理士紹介サービスから来た方とZoom面談。