昨日読んだ本が、『子どもは「この場所」で襲われる』(小学館新書、小宮信夫、2015)。
子どもが犯罪被害に遭うことに対する本。
今日読んだ本が、『14歳の子を持つ親たちへ』(新潮新書、内田樹・名越康文、2005)。
子どもが犯罪を行うことに対する本。
それぞれ、14歳の子どもを持つ親として、気になったので読んでみました。
犯罪の防止は、会社経営において取締役の責任である、従業員の不正防止にもつながる話です。
犯罪原因論に基づいた「ロボトミー手術」
犯罪原因論とは、人に犯罪の原因がある(だから動機を追及しよう)という理論です。
人から犯罪の原因を取り除くという、ロボトミー手術の話がいちばん共感できました。
ロボトミー手術という言葉は聞いたことがあったのですが、そんな意味だったんですね。
攻撃性の原因となる前頭葉を切除したら、犯罪はしなくなったが、人間らしさも失われてしまったので、いまでは禁止されている手術です。
『子どもは「この場所」で襲われる』の主張は、人間を見て、その人が犯罪を起こしそうか予測することはできないので、犯罪が起きやすそうな場所(見えにくく、入りやすい)で予測しようというものです。
こうしたことは税金を使って行われるので、動機解明にお金を使うよりは、犯罪機会論の理論にもとづく教育等を行うことのほうが、犯罪のリスクを下げる方法として、コスパがよいというお話しで、私も基本的に賛成です。
人間は正邪一体のものと考えるならば
ロボトミー手術の話は、人間からいいものだけ取り出すことはできない。いわく、人間の良い点は、悪い点と表裏で結びついているという話と結びつきます。
『14歳の子を持つ親たちへ』から引くと、善と悪の二極を前提とするのではなく、
「正常」であることのうちに「邪悪さ」があらかじめビルトインされているという全く新しい人間観
にもとづいて、殺人をしないようにする方法を考えなければならないと述べています。
村上春樹『ノルウェイの森』でいう、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」みたいなイメージです。
私も基本、そのように考えています。
『14歳の子を持つ親たちへ』は、精神科医との対談のため、個人・教育・文化に引き付けて「怖い14歳」の話になってしまいます。
ただ、「正常は必ず邪悪を含む」と考えるならば、『子どもは「この場所」で襲われる』と同じ結論になるのではないでしょうか。
その帯にあるキャッチ「怪しい『人』は見分けられない」と。
会社経営で気を付けるべき犯罪は
さて、会社経営の話になりますが、社長として気を付けていただきたいのが、従業員による横領です。
現金は入りも出も記録されずに持ち去られたらわかりませんし、物品もメルカリ等で転売されやすい時代です。
- 社内で現金で入金されるものを洗い出し、全額を銀行に入金するようにする
- 現金を入出金する人と、伝票等で入出金依頼する人を分ける
- さらに別の人が帳簿残高と手提げ金庫の有高との一致を確認する
- 実地棚卸を行い、説明できない棚卸減を究明する(粗利率が急減していると危険)
小さな会社では経理担当者を1名しか置けないことも多いでしょうが、ひとりで現預金の出入りが自由にできる環境に置かれると、誰であっても横領する可能性があります。
社長なり役員なりがチェックする必要があるでしょう。
さもないと、以下のような事態が発生し、その回収は困難なものになります。
- 例外的に現金で差額をやりとりするものや、リベートを担当者が自分のものにしてしまう(税務調査で発見されると、売上の計上もれになります)
- ひとりで銀行印を持ち出せる担当者が私用で会社のお金を持ち出す(資金繰りが苦しい会社からでも横領されます)
- 値入率から想定される粗利率よりも、実際の粗利が低いので調べてみたら、商品が横領されていた
犯罪は個人(育った環境や動機)に原因がある「犯罪原因論」で考えるよりも、従業員に、ここなら目的が達成できると思わせる「景色」に原因があるという「犯罪機会論」で考えたほうが効果的です。
「人はウソをつくが、景色はウソをつかない」という著者・小宮氏の言葉は至言です。
編集後記
今日はひたすら家の掃除(毎週水曜に小掃除、土曜に中掃除をしています)。
マジックアワーの時間帯の空が美しい季節になりました。