ストリートファイターII時代
小学校で噂になったゲームがあった。「ストII」。「波動拳」「昇龍拳」という言葉が飛び交った。当時は「はどうけん」と言ったら「波動剣」しか知らない。なんで今更みんな「月風魔伝」の話をしてるんだ? と思ったのが最初。
そのゲームが、あるスーパーの店頭にあるという。100円玉を握りしめて行った。筐体では、巨大なキャラ(ガイル)が、巨大な動きで私のリュウを叩きのめしていった。レバーの動きだけでガード・ジャンプするのがそもそも斬新で、そのレバーの回転動作で必殺技が出るというのが新しすぎた。まず「昇龍拳」が出せるかどうか、が最先端の話題だった。
スーパーファミコンが出たら、移植版の「ストII」「ストIIターボ」をやりまくった。春麗→ベガが持ちキャラだった。「スーパーストII」はディージェイに変えたが、なんかなじめなくて、ストIIシリーズは自分の中ではそこで終わってしまった。
スーパーファミコンで遊ぶネオジオ時代
『ファミコン通信』に「龍虎の拳」の画面写真があり、画面いっぱいのキャラクターに驚く。友達が、酒屋の店頭に100メガショックネオジオがあるという情報を持ってきた。遠出してプレイしに行った。ストIIと比べると荒っぽいゲーム性だが、ストーリー性やビジュアル、超必殺技にひかれて、SFC版の「餓狼伝説2」(TAKARA)を買ってひたすらプレイしていた。
その後、「真サムライスピリッツ」が登場する。小林清志氏によるナレーション、美しいデモ、一人の声優が3人の女性キャラを完全に演じ分けるボイス、ラスボスが女性キャラという新機軸、かっこよすぎるスタッフロール。私の心をすべて持っていった作品だ。
しかし、当時はお金がないのでSFC版の「サムライスピリッツ」をやるしかなかった。が、友達がネオジオ版の本体と「真サム」を貸してくれ、感動とともに一気にはまった。
ネオジオCD時代
その後、頑張ってネオジオCDトップローディングタイプを買った。「真サム」の長いローディング時間にもへこまず、青い表紙のカタログを穴が開くほど毎日見続けた。ゲームは主に中古で買っていた。
「真サム」の対戦ブームはとうに去っていて、リアルタイムでの対戦は1回だけ、ナコルル使いにぼこぼこにされただけだった。翌年、待望の続編「サムライスピリッツ斬紅郎無双剣」が登場する。発売直後からゲーセンに通うようになる。
時は1995年。『ネオジオフリーク』(芸文社)が3号のムックの売れ行き好調により、単独の雑誌コードを持つ月刊誌として正式に創刊された。オールアバウト本とともにロード時間のお供だった。
地元のゲーセン時代
地元のゲーセンでは「斬サム」でガンガン対戦し、13連勝くらいはできるようになった。「新宿ジャッキー」とかが話題の時代で、自分も「〇〇リムルル」などと自称していた。「豪指のハルオ」と同類である。
対戦相手がCOM相手に勝利寸前で乱入して勝ったら、年上の対戦相手にからまれてしまった。からんできた人は、同じ中学の不良に反撃されて半泣きで謝りにきた。でも、「こんな入り方はしないでください」と言われた。対人戦のマナーを学んだ。
同年、「ザ・キング・オブ・ファイターズ’95」が導入される。ゲーセン内は立ち見のギャラリーが列をなし、熱気に包まれていたのは『ハイスコアガール』に描かれていたそのままである。
翌年、「リアルバウト餓狼伝説」が登場する。地元のゲーセンでは「DEN」とハイスコアネームエントリーをする不知火舞使いが噂になっていた。「DENさん」と仲間内では呼ばれていた。私のビリー・カーンともときどき対戦し、あるとき、ぶっぱなしてきた潜在能力(不知火、究極奥義)をガードキャンセル紅蓮殺棍で返してKOできたことがある。その瞬間は映像で記憶している。その後本気を出したDENさんに再乱入されて、次は速攻で敗北した。