村上春樹新訳『遠い声、遠い部屋』T.カポーティ

昔、村上春樹訳の海外文学は、イメージ先行か「まるで村上作品みたい」と評されがちで、訳者はそう言われることを好まなかったのですが、最近はあまり言われないように思います。

自作『1Q84』あたりから、初期村上春樹風の文体はほぼ消滅し、ただひたすらに読みやすい、映像の浮かぶ、引き締まった文章になりました。

近年の翻訳は、『極北』『「グレート・ギャツビー」を追え』といったドエンタメで楽しく読ませてくれる一方、『心は孤独な狩人』『最後の大君』などの純文学も、この読みやすい文体で提供されていました。

8月2日発売の本作。『心は孤独な狩人』と同じアメリカ南部の話で、ムードが似ているなあと思っていたら、発売当時もやはり「マッカラーズの模倣」という批評があったようです(あとがきより)。

今作も、もちろん文体はぜんぜん初期春樹ではない、今の文体ですが、カポーティの独特の文体を、難読漢字を多用するわりに「ふりがな」少な目で表現しているように思えます。

これは文体よりはむしろ、内容が村上作品に近かったのが面白かったです。

傷ついた少年が、その傷ゆえに妄想の世界に入り込みがちになるあたり、『海辺のカフカ』『街とその不確かな壁』に近いものを感じます。

『街と、その~』『街とその~』の両作品が、村上春樹の心の奥底の風景を、ほぼそのまま描き出した(これに比べると初期作品はかなり加工されている感あり)と思える点で、『遠い声、遠い部屋』はすごく似ています。

作者の創作の源の風景が、そのままあるように読めて、とにかく一気に読んでしまった、というのも同じ。

春樹同様、非常に映像的な文章なので、読んでいると絵が浮かび、その夜の夢にまで出てきてしまいました。

1948年の作品なのに、いまでも先端的な内容を描いて、まったく古びない。「新しい作品は永遠に新しい」を体験できる小説だと思います。

本日のSteamサムコレ戦績

真サムライスピリッツで、同じランク「十」の方と3戦で辛くも3連勝。この方は初めてかな? お互い中級者という感じで互角の闘いでした。毎試合1対1にもつれ、体力ぎりぎりで勝つ・負けるを繰り返す。同じくらいの強さの人と対戦するのが一番楽しい、というのは本当ですね。時間切れで体力勝ち逃げしようとした相手を追い詰め、逆転できたのがうれしかったです。

感想『街とその不確かな壁』が読み手を問わない理由

村上作品が読まれる理由が明確になった今作

読了。とてもよかったです。

村上春樹作品を必要とする人々は、日々新たに生まれてくるのだと思います。

その人々とは、「愛する人を失った人々」。初恋(交際に至らない)、最初の恋人、配偶者、肉親、親友の喪失。

こういう人たちは世界中にいるので、世界で読まれるのでしょう。もちろん、その読みやすさ、さらに作者自身による全世界営業活動を前提としてですが。

過去作のリメイクであることをさしおいても、読み始めは「またか」と思うかもしれません。それは作者も自覚しています。

我々はその限られた数のモチーフを、手を変え品を変え、様々な形に書き換えていくだけなのだ――と言ってしまっていいかもしれない。

あとがきより

「村上作品が好きだ」と言うと、「自分はかつて、愛だか恋だか好意だかを失ったことがある」と公言するに等しい。プライバシーだだもれ、恐ろしいですね。

しかし、世の中の98%くらいの人は、みんな一度は失っているので、匿名性は保たれています。

失っていることで、みんなつながっています。

冒頭の引用文で、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が想起されますね。そういえば、あの計算士の主人公も、妻を失った人でした。

主体は、過去の中編『街と、その不確かな壁』なのですが、時代的には『世界の終りと…』の続編といってもいいような雰囲気です。あの世界の、インターネットがある時代が今作です。

「おお、今作は前作の時代から数十年経っているから、『世界の終りと…』にはあった、<あれ>がないのか」と納得しながら読めたりもします。ま、その辺の解釈は自由ですが。

3つ目の段階に入った、あたらしい作品

この「街」が出てくるたびに、村上ワールドは段階が区切れるような気もします。

『世界の終りと、ハードボイルド・ワンダーランド』時代が1周目。

『海辺のカフカ』時代。2周目ですね。このあたりから、「過去作の総集編みたい」と言われがちになり、同じモチーフが繰り返されはじめます。

そして『街とその不確かな壁』時代。前時代の繰り返しループを脱して、3周目に入った感があります。今後もまだまだ新しい春樹作品が読めそうな予感がします。

今作は、過去の2つの段階を含みつつ、それを踏み台にして、今まで描いてこなかった場面や内面を書かれています。

反対に、今まで書いてきたけど、今作では書かれなくなったこともあります。

過去作にあったような執拗な描写もなく、非常にあっさりした文体です。が、ものすごく映像が浮かぶ文章です。なので、いつも以上に読みやすい。

さまざまな形で、さまざまな愛する人を失った人々が現れるので、登場人物の中にだれか、あなたに近い人がいるはずです。

その意味で、老若男女、誰が読んでも高い確率で共感できる、非常に間口の広い作品になっていると思います。

最近の作品を停滞気味・食傷気味に感じていたマニアの方にも、今回は、そんなようでいて違うよ!と言いたいです。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の続編となるか 村上春樹『街とその不確かな壁』

At 11:44 AM 96.12.22…お願いがあります。また、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの続編を書いてほしいのです。…

こんにちは。…『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』はいつかあの続きを書きたいと思ってはいます。「僕」が森の中に入っていってどうなるのか、という話ですね。ずっと先になるかもしれないけれど、たぶんいつか書くと思います。あの小説に関しては書き残していることがまだあるような気がします。…村上春樹拝

『村上朝日堂 夢のサーフシティー CD-ROM版』(太字引用者)

村上朝日堂に届いたメールで、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の続編を希望するものが何通もありましたが、そのファンの願いは、上のメールから27年ぶりに叶うこととなるのでしょうか?

続編ではなく、「リンクしている長い物語」として、『海辺のカフカ』が書かれ、森の中の街がちらっと出てきましたが。

4月13日発売の最新作は、その元ネタである1980年作『街と、その不確かな壁』の長編化(「蛍」→『ノルウェイの森』方式)、かつ、タイトルがリメイク版(「めくらやなぎと眠る女」→「めくらやなぎと、眠る女」方式)。

元ネタ中編は、「研究者以外読む必要がない」との村上さんの言を信じて読んでいません。

公式サイトで判明しているキーワードは、直接的なリンクを示すもので、根拠は私の直観と上記の村上さんの返信ですが、続編になるのではないか、と予想します。

なるといいな。20年以上ぶりの続編ばやりですし。

「長年のファンを喜ばせること」というのは、あらゆるメーカーやアーティストにやってほしいことの一つです。ファンでいてよかった、思わせることがファンを虜にすると思います。

しかしタイトルだけで書けるのはこのくらいかな。当日は、早朝販売している書店を見つけて、仕事を休んで読もうと思います。

前の『騎士団長殺し』は秋田で買って、一ノ関の「ベイシー」で読みました。東北の震災がらみの本で、偶然の一致に感動したものです。

3/2追記…しかし、公式サイトの紹介文を読むと、続編というより、「街と、その不確かな壁」の改稿版のような気がしてきた。ただ、希望は持っております。

村上春樹4月13日新作は672ページ

という長さ情報だけで語ってみましょうか。

試しにAmazonを672ページで検索してみたら、同じ新潮社で672ページの単行本が出てきました。

『灼熱』葉真中顕(2021年)2,860円

『村上春樹新作長編(仮)』は2,970円なので、妥当なお値段では……。これと同じ長さです。

手元にある本で672ページの本がないか探してみたところ、ジェイン・オースティン『高慢と偏見』(中公文庫)が、ジャスト672ページでした。

文庫は1ページ17行、単行本は1ページ19行(『1Q84 BOOK1』実績)なので単純比較はできませんが、『高慢と偏見』を読破したことがある人なら、「あれと同じか、ちょっと長いくらいの話だな」と分かると思います。

ちなみに『1Q84 BOOK1』単行本は560ページ。

「春樹新作のボリュームは、『高慢と偏見』や『1Q84 BOOK1』よりちょっと長いくらい」と覚えておいていただければと思います。

『1Q84』Book3の面白いポイント

村上春樹『1Q84』の面白い点は、あたまからしっぽまで異常な話なのに、ラストだけふつうの話であること、です。

人が亡くなるということの厳粛さを、多いに感じられます。

一方、カルト教団側の人死にのあまりの雑さに、唖然とします。この対比が鮮やかです。

村上作品では、しばしば人が亡くなりますが、亡くなる前の前触れ、亡くなったあとの事務処理、生きている間に人は何を集めているのか、その様子が淡々と書き綴られているのは、これが唯一であると思います。

そこまでの異常な話があって、このふつうの話が入ってくるところで、急に静けさが訪れるところもいいです。

村上さんの実父をみとった経験が生きているんだろうなと推測します。

好きになれなかった父親も、父親であったというあたりまえのことに気づかされる、その描写が見どころです。未読の方は、そこにたどりつくのを楽しみにしていていただければと思います。

マイ・ベスト・春樹長編です。

村上春樹のビジネスエッセイ 銀行の話

村上春樹はもともと飲食店経営者(調理師免許あり)だったのは有名な話ですが、その当時のエピソードでずっと印象に残っているエッセイが、「一事は万事なのだ」(『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』)。

老舗の村上春樹研究サイトによれば、1977年(春樹当時27歳くらい)のエピソードなので、その点は割り引いて読むとしても。

「国分寺から千駄ヶ谷に店舗を移転したら、現地で実績がなく、当座預金の口座が作れなくて困っていたところ、ある銀行の原宿駅前支店がオープンしたてで、道でノベルティ配布中の支店長に相談したら、すぐに当座が作れた」という話。

私が思うに「二十三区内に店を引っ越しでき、前の店舗を引き払えるくらいの貯金があり、結果それまでちゃんと儲かっているのに、オーナーが若い」ということを、短いやりとりで支店長が見極めたのかな、と。

教訓としては、オープンしたばかりの金融機関の支店にアプローチせよ、でしょうか。

『BRUTUS特別編集 合本 村上春樹』の感想

雑誌『BRUTUS』が過去の記事をまとめた「合本」を出しているのは、コンビニや書店でよく見るので知ってはいましたが、自分の興味のある分野でそれを出されると、ちょっともやっとしますね。「それ、もう持ってるんだけどな……」と。

新規に追加されたのは、インタビュー8ページ。これで1,760円。ページ単価293円ですが、ファンなので買いました。

すっかりラジオの人、音楽評論家となった村上春樹ですが、今後の出版予定は既報のとおり、以下:

  • クラシック・レコード本の続編(年内発売予定)
  • カポーティの新翻訳

翻訳は相変わらず良いので、買う予定。クラシック・レコード本は、まったく興味のない分野の専門書なので、買わない予定です。

30日の村上Radioで、「長編の予定は?」という質問に答えるそうなんですけども。『騎士団長殺し』で引出しが払底した感があり、そこから盛り返せるか。私のおすすめは圧倒的に『1Q84』ですけどね。

カルトに対するワクチンでありウイルスである『1Q84』

村上春樹『1Q84』は、オウム真理教事件の被害者たちと信者たちへのインタビューを行った著者が書いた、ひたすらに面白い小説です。

自分の書いた物語より、カルトの語る物語の方が面白かったから、様々な事件が起きたのではないか? そんな、小説とカルトとを対等に考える問題意識が特徴です。

主人公たちが出版する作品内小説『空気さなぎ』は「カルトに対するワクチンであり、ウイルスである」と作中で評されます。また、『1Q84』そのものも、カルトに対するワクチン等になっているという二重構造です。

『1Q84』を読めば、カルトとはどんなものかがよく分かります。まず、教団に対して犯罪が行われても、警察に被害届を出しません。疑惑が起こると、スーツを着たスポークスマンが自分たちの無害性をとうとうと述べます。

最終的には主人公たちの活動で、教団に警察が突入しますが、教団も反撃して『空気さなぎ』を絶版に追い込む……面白いです!

今こそ読むべき村上春樹『1Q84』(2009)

だから君は僕のシステムを――

システムなんてどうでもいいわよ!

『ノルウェイの森』

今にして思うとあまりに予言的な書『1Q84』を読み返すべきときが来たなあと思います。NHK集金人の息子とカルト信者の2世が主人公の本作品。

個人としてのNHKに対する恨みを、NHK集金人に対する国民の集合的不快感と結び付けて国政政党を誕生させた男。個人としてのカルト教団に対する恨みを、教団への社会的な打撃に拡大させた男。

どちらもその結果を受け、世界は2Q22年に移ろってしまったように思います。もう2022年には戻れない。

『1Q84』でも犯罪的な方法で恨みは晴らされます。たまに主人公が犯罪すると許せないという感想を書く人がいますが、小説は何を書いてもいいんです(by筒井康隆)。

そして同書は、別に予言なんてしていたわけではないと思います。「歴史は繰り返す」ということを言っていただけで、実際に歴史は繰り返したわけです。

村上春樹ライブラリーを訪問しました

ライブラリーなので、図書館機能があります。ファンでもなかなか読んだ人は少ないだろう村上龍との対談本『ウォーク・ドント・ラン』がありました。しかし、予約した見学時間90分で読み切って、他も見ようと思うと、龍の発言は全部飛ばして読むしかないですね。

村上さんは、発言の内容が古くなったので現在は文庫として流通させていないのだと書いていましたが、一部の発言は今もそのままですね。「普通の仕事をしている人を読者に想定して、その人のために書いている」というのが、『かえるくん、東京を救う』のかえるくんのセリフを思い出させます。

真ん中の写真の奥には、『風の歌を聴け』の「こんなシャツだ。」で有名な挿絵があります。右の写真は、初代ウォークマンの初期ロットのデュアルジャックに付されていたGUYS & DOLLSの元ネタですね。これは、和田誠コレクションです。

同時開催:ジャズと文学。こちらは8月28日までの展示です。